韓国のコミュニティサイトより「壬辰倭乱当時の日本軍の戦闘力.mp4」というスレの反応を翻訳して紹介します。
壬辰倭乱当時の日本軍の戦闘力.mp4
※音量注意
動画内容「壬辰倭乱当時、朝鮮軍と明軍が衝撃を受けた理由。
100年以上続いた戦国時代を経験した日本軍は、兵士一人ひとりが実戦経験を積んだ戦闘のプロだった。
身長は10センチほど低かったものの、日本の少年兵1人に対して4~5人でも歯が立たないほど戦闘力に差があった。
農民を徴兵して軍を編成した側とって、このような日本軍と戦うのは非常に厳しかった。
その結果、明は日本兵の戦闘力に衝撃を受け、日本兵1人を10人で相手にする戦術である鴛鴦陣を発展させた。」
(スレ主)戦国時代をくぐり抜けてきた経験に、個人の戦闘技術、さらに新兵器の火縄銃まであったから、
序盤は本当にどうしようもなかった…(ブルブル
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韓国の反応
刀も3本ずつ持ち歩いていたらしい。
そうだと思う。
李舜臣将軍も南海岸の複雑な海岸線という地形的な有利さを活かして戦っていたし、巨済島を越えると外洋になって不利だと見て、釜山まで行けという宣祖の命令にも従わなかった。
兵士から大名まで信長と戦ってきた人たちを相手に、寄せ集めの兵を率いてどうやって防いだんだw
実戦での戦闘力では太刀打ちできない。
最小限の力で戦闘から離脱させられる方法だから、スペインがアステカを圧倒した時も、熟練したコンキスタドールたちはまず手首を狙ったらしい。
だから侍は刀を何本も差していたという話も、内容自体は合っているけど、そこまで圧倒的なものでもなかったと思う。
当時は弓の方が優れていた。
ただ、弓兵を育てるにはかなり時間がかかるけど、火縄銃は構えて火を付ければいいから、習熟するのに何日もかからない。
幸州大捷などで漢江以南、南部地域まで押し戻したのも、開戦からまだ1年も経っていない頃だった。
日本兵を2、3人をやっつけて、その首級を持って戦功があるように見せたりもしていた。
体系的な訓練を受けて、科挙の武科に合格できるくらいなら実力はあっただろう。
問題は一般兵との差が大きかったことだと思う。
兵士と武将の違いだと思う。
金汝岉も日本兵を相手にかなり戦っていたし、李鎰も撤退中に日本兵と遭遇すると倒しながら進んだらしい。
当時のこっちの精鋭だった水軍すら、序盤は負けっぱなしだった。
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